シーサイドジャズ
道添進
道添進

思いがけず出会う生演奏は、

南の夜をいっそう楽しくしてくれる。
気軽にジャズとつきあいたくなって、
潮騒がかすかに聞こえる海辺に向かってみた。

遭遇する楽しさ

「やはり野に置けレンゲ草」という俳句がある。野辺の草花を摘んで床の間に飾るより、やっぱり自然に咲いていたほうがいいという意味だそうだ。その言葉にならうなら、コンサートホールでちょっと改まって聴くジャズもいいけれど、開放感あふれる海辺のバーやラウンジで偶然出くわす生演奏も、ハワイらしいジャズの楽しみ方といえそうだ。

夕食後にそぞろ歩きしていて、思いがけずジャズボーカルなどが聞こえてきたりするとちょっとうれしくなるものだ。実際、ハワイの海辺ではそういう幸運にしばしば出くわす。

ためしに、ハレクラニホテルの中庭あたりを歩いてみるとよいかもしれない。かすかに女性のボーカルが聞こえてきたら、それはきっとルワーズラウンジの生演奏だ。あいにく満席でもあきらめることはない。しばらくロビーのソファーで待っていれば案内してくれるだろう。それに、夜が更けるほど、店内は盛り上がってくるから急ぐこともないようだ。

このラウンジでピアノの弾き語りをしているのは、マギー・ヘロンさん。パートナーのロッキー・ホルムズさんがソフトな音色のサクソフォーンとフルートで彼女の演奏を支える。予約もいらず、入場料もいらず、飲み物を注文するだけで好きなだけジャズを聴いていられる。ワイキキにはこういう店がけっこうあって、イリカイホテルのサレントスや、オハナイーストホテルのチャックスセラー、ちょっと離れたところではカハラホテルのザ・ベランダなどがそうだ。ジャズの生演奏がある店は持ち回りのようにときどき変わるけれど、お酒に生演奏はつきものという伝統はいたるところに息づいている。

気軽に聴けるのなら、演奏もその程度ではないか、という心配は無用だ。53バイザシーでピアノを弾いていた鑓溝(やりみぞ)聡美さんは、「ほんとうに上手でなければレギュラー出演はできません」と断言する。シーサイドジャズの主役は観客だ。食事やカクテルやおしゃべりを楽しみたい人たちに寄り添うように、主張しすぎず、没個性すぎず音楽を奏でられる役は、よほどの手練れでなくてはつとまらないのだという。

ルワーズバーのマギーさんは、同じシーサイドでも西海岸からやってきた。クラシックピアノの神童といわれ、10歳のときには教会でオルガニストをしていた。やがてシアトルの高級ホテルでジャズピアニストとなって、息抜きでハワイ島に遊びにきたとき運命が動いた。かれこれ40年ちかく前のことだ。

「ヒロの町で親しくなったジャッキー・メロという音楽家が、ホテルで演奏する機会を作ってくれたのよ」。その晩、彼女の演奏を聴いたみんなは、もう全力で引き止めにかかった。それがきっかけでハワイへ移り住むことになった。

ほどなくマギーさんは、ラナイ島に開業したマネレベイ・ホテル専属となった。入り江を見下ろす美しいラウンジは、マギーさんのちょっぴりハスキーな歌声と不思議に調和した。

「文明からうんと遠く離れた南の島で、都会のジャズを歌い続けたわ。気がつけば何十年かが経っていたの」

マギーさんが、ハレクラニで演奏するようになったのは2012年4月からだった。敏腕エンターテイメント・プロデューサーのキカ・マツモトさんから、ぜひに、と乞われてやってきた。一流のホテルラウンジにふさわしい演奏家は誰か、その道のプロはちゃんと目利きをしている。素敵なバーやラウンジでレギュラーの座を勝ち取れるのは、ごく限られた人だけだ。もっとも、そんな事情には関係なく、聴く方はほろ酔い気分ですごい演奏を海辺で聴くことができるというわけだ。

活きのいいジャズを聴きたかったら、ダウンタウンにはメッズやドラゴンアップステアーズといったライブハウスもある。でも、もうちょっと軽く付き合いたいのなら、やっぱり海辺に向かうといいかもしれない。

汽笛の飛び入り

かつて生演奏の黄金時代があった。トランペット奏者のデシャノン・ヒガさんは、自分の親と同じ世代の先輩たちがよく語っていたことを覚えている。

「カラカウア通りやクヒオ通りにはライブハウスがたくさんあって、毎晩、そりゃあにぎやかだったらしいよ」。生演奏がいちばん盛んだったのは60年代から70年代にかけてのころだ。ハワイアン、ポップス、そしてジャズなど、いろいろなジャンルの演奏がヤシの木がそよぐ通りにまであふれていたという。演奏の善し悪しは客足に影響するから、腕のいいミュージシャンはひっぱりだこだった。演奏者が足りないなら、育てようじゃないかという気概がエンターテイメントや飲食サービスの世界には育まれていった。そのなごりだろうか、今でも、演奏者を求めている店があるというと、すぐに話が回ってくる。

「リードトランペット奏者を探しているんだが、やってみないか」。ある日、師匠のマイク・ルイスさんから声をかけられ、デシャノンさんは楽器を携えて店を訪ねた。そこはワイキキからはだいぶ離れたパールシティのレニという酒場だった。ルイスさん率いるビッグバンドの一員として迎えられたのだ。洒落たシーサイドジャズとはだいぶ雰囲気が違っていたけれど、デシャノンさんはむしろラッキーと思った。

「上等じゃないか。ここで吹きまくってやるさ」と、デシャノンさんは若さに任せて思い切りブローした。もともとメイナード・ファーガソンというハイノートで有名なトランペッターに憧れてジャズ演奏家になったデシャノンさんだ。場所がら、真珠湾のネイビーベースで働く耳の肥えた人たちが聴きにくるこの店で、彼はどんどん頭角を現していった。

今、デシャノンさんはアロハタワーマーケットプレイスで演奏している。ビアレストランのゴードンビアーシュに設けられた、文字通りシーサイドの野外ステージだ。デシャノンさんたちが演奏する晩は、地ビールがよく売れると評判で、2004年からずっとここが本拠地となっている。

  「ときどきサンセットクルーズの汽笛も思いがけず参加してくれて、ハワイしかできないセッションになるんだ」
そうした野外の雑音も即興演奏のひとつと受け止められるようになったのは、ニューヨークでの修行があったからだという。

「ジャズはなにも四隅を壁に囲まれた舞台でやるものだと決めつける理由はないよね。むしろオープンな空間では、聞き手も奏者もリラックスできるから、即興演奏も自由に広がっていく気がするんだ」

3年間のニューヨークでの活動を経てハワイへ戻ってきたのは、薄暗いロフトや地下室から抜け出したジャズをやってみたかったこともある。でも、自分を育ててくれた街で、今度は誰かを育てる手伝いをしてみたいと強く思ったからだという。ゴードンビアーシュでは、4人編成のクアッドポッドというグループから20人編成のデシャノン・ヒガ・ビッグバンドまで、彼が率いるいろんなバンドが出演している。抜擢された若手演奏家たちにとっては、またとない修行の場だ。新しいシーサイドジャズは、きっとデシャノンさんの周りから生まれていくことだろう。

「ここに幸あり」の大ヒット

黎明期の日本のジャズに影響を与えた演奏家がハワイにいる。レネ・パウロさんは今年85歳になる現役ジャズピアニストだ。ニューヨークのジュリーアード音楽院に入学し、そこでクラシックを学んだ。当時はジャズ専攻科はなかったけれど、ベニー・グッドマンのバンドのピアニストだったテディ・ウィルソンから直接手ほどきを受けた。

ハワイへ戻ったレネさんは、ほどなく軍所属のピアニストとして訪日した。時代は朝鮮戦争のまっただなかで、日本にも米軍がたくさん滞在していた。米軍に接収され、将校たちが集まった東京の新橋第一ホテルをはじめ、米軍基地などで演奏して回った。

ある時、韓国へ転属が決まり支度していると、軍の偉い人がやってきて言った。

「君は東京で演奏を続けたまえ」。その上官は大のジャズファンだったという。彼の計らいもあってレネさんは1952年から5年間、日本に滞在した。その間、銀座や六本木のクラブで日本のミュージシャンたちともさかんにセッションを行った。渡辺プロダクションを創業した渡辺晋さんが当時シックスジョーズというバンドを率いていた。ピアニストの中村八大さんが抜けることになり、その後任となった。中村さんは後年「上を向いて歩こう」を作曲し、ビルボードチャートで全米1位になった。親友が書いたこの曲は、レネさんが好んで弾くレパートリーだ。演奏を通じて、江利チエミさんやペギー葉山さんとも親しくなった。彼女たちがハワイを訪れたときはいつもレネさんの自宅を訪れてくれたという。

その後、レネさんがハワイに戻って2年がたった1958年のことだった。

「和風のシンプルな曲を出したらきっと売れるよ」と、日系2世のレコードプロデューサーであるビル・ムラタさんが提案した。頭にふと浮かんだのは「ここに幸あり」という日本にいるときよく耳にした曲だった。レネさんは、独特の繊細なタッチで、アドリブを控えめにしたメロディアスな楽曲に仕上げた。人気のラジオ番組トム・モファット・ショーで、レコードをかけた途端、ハワイ中で大ヒットし、シングル盤が5万枚売れた。以来、この曲はディナーショーの定番として、ダニー・カレイキニさんなどが歌い継いでいった。

レネさんはイリカイホテルでオーパスワンというクラブを経営し、長い間そこを本拠地に演奏活動を行った。2012年には『デュオ』というアルバムもリリースした。15人のトップハワイアンシンガーとピアノのデュオで、ハワイアンの名曲をジャズ風にアレンジした作品だ。その中の1曲「エ・クウ・モーニング・デュー」は、レネさんの奥さんでシンガーのアケミさんとの息の合った曲に仕上がっている。

クラブもたたみ、そろそろ引退しようかと考えていたところへ、思いがけないアンコールがあった。

「パパ、いっしょにやろうよ」。娘さんがステージで共演してほしいという。場所はマリオット・コオリナで、ワイキキから離れているけれど、シーサイドであることに変わりはない。サンセットが美しい野外ステージで、娘が歌い、息子がベースを引き、孫がギターを鳴らす。音楽一家のステージの中心には、もちろんレネさんがいる。情感のある旋律は往年のままだ。

もともとジャズはいろんな要素を取り入れながら発展してきた。今のハワイも多様な音楽が息づくエンターテイメントが溢れる場所だ。海辺のバーやラウンジには、新しいジャズを生み出すエネルギーがみちている。それはオープンな雰囲気のもと、ハワイの夜をいっそう楽しくしてくれるにちがいない。