至福のひとくち
文=ドーン・サザード 写真=ライアン・フォーリー

店頭に並んだ途端、売り切れ

水辺の作業場で、クウイポ・マッカーティさんは薬味を用意していた。ホットソースとカクテルソース、そしてカットレモンもある。アシスタントのイカイカ・ヴェレーズさんがタンクから12個のカキを引き上げ、殻を開け、カウンターに並べた。その向こうには、午後の陽射しに照らされたモリイ養魚池とカネオへ湾の水面が広がる。目の前には、キラキラと輝く殻に載ったトロリと光るプリプリのカキがある。それはとても印象的な光景だった。私は薬味には目もくれず殻をつかみ、冷えたカキを口の中にすべらせた。

私にとってカキは、思い出のシーンとつながっていることが多い。アナポリスのスパクリークでの一夜、カラッと揚がった衣に、リカーと呼ばれる汁がシミ出ないうちにほおばったカキフライ。凍てつくような冬の日、マンハッタンのグランド・セントラル駅地下のオイスターバーで食べたアツアツのカキのシチュー。しかし、これまで食べたどこのカキよりも、このクアロア牧場のモリイ養魚池で育った生の太平洋産のカキほど、さっぱりとして美味しいものはなかった。それは良質のカキすべてにいえるように、わずかに塩気があり、身がしまり、新鮮でかすかな甘味があった。

熱烈なカキのファンは地元産を好むようだ。大西洋岸では、ブルーポイントやチェサピークのような大きな肉付きの良いものがもてはやされる。また、ニューイングランドではレタスのような風味のベロンズカキに人気が集まる。かつてこの地域のカキはブリタニーの特産品だったが、現在ではメインとノヴァスコーシアに移っている。西海岸では、小さくて甘味があり、よく「木の実風味」と表現されるクマモトが好まれている。しかし、どのオイスターにもわずかながら欠点がある。ヨウ素や銅、あるいはアーモンドの苦味に含まれるシアン化合物に似た雑味がわずかに感じられるのだ。ところがモリイ養魚池のカキにはそのいずれもなく、完全無欠だった。

ハワイの海産物というと、誰でもアヒ(マグロ)やマヒマヒ(シイラ)を思い浮かべるが、カキを挙げる人はおそらくいないだろう。しかし、その常識が今まさにくつがえされようとしている。マッカーティさんとヴェレーズさんは、このハワイの新しい産業の先駆者だ。ここまで来るのは長い道のりだった。2人が勤めるクアロア牧場では、6年の歳月をかけて800年の歴史のあるモリイ養魚池の一部をカキの養殖場に転用した。ここで育ったカキが一般の人の口に入るようになったのはごく最近のことだ。私が訪ねた日の朝、マッカーティさんは牧場のビジターセンターにある店に576個のオイスターを運び込んだが、2時間で売り切れた。その翌日マッカーティさんは、ウィンドワードモールで開かれるファーマーズマーケットで2000個売り出す予定だった。たとえ1個1ドルだとしても、すぐに売り切れることは間違いなかった。クアロア牧場にとっても、私のようなハワイのカキ愛好家にとっても、新しい時代の幕開けと言えるだろう。

パールハーバーの由来

カキの養殖自体は非常にシンプルだ。まずスパットと呼ばれる子ガキを、浮いているネットの筒に詰め込み、養魚池の水底のくいに8本から10本の紐でつないでおく。あとは定期的に誰かが小舟で見回り、子ガキが一カ所に集まらないように筒を回転させたり、岸辺まで牽引したりすればよい。子ガキは養魚池の滋養豊かな水の中でどんどん成長し、短期間で大きくなる。養魚池に入れる時の子ガキは5〜6ミリの大きさしかないが、6カ月ほどで5センチから6センチに育ち、市場に出せるサイズになる。成長する過程ですし詰め状態になるのを防ぐため、子ガキは新しい筒に移し替えられる。最終段階になると1本の筒の中には成長したカキがおよそ150個入っている状態になる。現時点で収穫できるカキはおよそ2万8000個あるという。

ハワイはこれまでカキと無縁だったわけではない。原産のものもあることはあるが、小さすぎて売り物には適さない。かつてオアフ島中央部のプウロア湾には真珠貝が棲息しており、英語でパールハーバーと命名される由来となった。だが、ジェームス・クックの来島から50年もしないうちに姿を消した。1800年代中期に、チェサピーク湾産のものがパールハーバーとカネオへ湾に持ち込まれたが、これも死に絶えた。1930年代になって日本のクロチョウ貝が紹介された。1938年の1年間だけで21トンが収穫されたが、乱獲によってほぼ絶滅した。それでもダイバーがカネオへ湾のサンゴ礁で、わずかに群生しているのを今でも見つけることがある。

太平洋産のカキはラテン語名にちなんでギガと呼ばれている。このカキは1906年頃にカネオへ湾に持ち込まれてから、長い間生存していた。湾の東端にあるワイカルア養魚場で養殖されていたともいう。太平洋産のカキは虚弱で、特に子ガキの頃に天敵から保護しないと生き残れない。そのため繁殖し過ぎて自然環境を脅かす心配がなく、ハワイにとってはむしろ望ましかった。しかし、ギガが初めてハワイに紹介されてから100年以上経った今、カネオへ湾でこの種を見かけることはめったにない。

温暖化転じて機会到来

では、最近になって何が変わったのだろうか。どうやら最大の変化は、マリア・ホーズという研究者が起こしているようだ。

ホーズさんはハワイ大学ヒロ校のPACRC(太平洋養殖・沿岸資源センター)の創立者で、海洋生物の養殖活動を指揮している。言わばハワイの初期産業を育成する助産師のような役割を果たす人だ。PACRCの施設内のタンクでは、養殖として有望なマレット(ボラ)、オパカパカ(フエダイ)などが群れをなして泳いでいる。しかし今、研究の大部分はカキの養殖に向けられている。ホーズさんは技術面での支援だけでなく、別の種類を試すための資金を集めたりしている。さらに地元の養殖業者とアメリカ本土の大手生産者を結び、本土から専門家を招いて繁殖や遺伝学などの知識を提供している。

もう一つの変化として、ハワイの業者が子ガキを入手しやすくなったことがあげられる。カキを育てることは比較的やさしいかもしれないが、子ガキを育てるのは難しい。それがハワイの養殖業者にとっての最大の問題となっていた。ある程度はホーズさんが提供しているが、ローカルの養殖業者が子ガキを育てるのは複雑すぎて手に負えない。ところが世の中とは良くしたもので、気候の変動がハワイでのカキの養殖に追い風となった。「海洋酸性化率が世界中で一番高いのが米国の西海岸です。この地域では、大規模なカキ養殖場や子ガキを供給している孵化場がいっぺんに災害を被る可能性があります」とホーズさんは言う。そこで全損を避けるため、グースポイント・オイスターやテイラー・シェルフィッシュのような西海岸最大手の生産者数社が動いた。生育期間が長く、酸性度の少ないハワイの海に注目し、孵化場を建設しはじめたのだ。彼らは年間に数億という子ガキをここから西海岸の養殖業者に送っている。そして、ほんの片手間という感じで、地元の養殖池が必要としている子ガキの大部分を供給するようになった。

「ハワイの生産者が一度に必要としている子ガキは、たかだか2万個で、テイラー社のような大企業にとっては無に等しい数です。なにしろバケツ1杯に100万個の子ガキが入るんですから」とホーズさんは言う。この2万個の子ガキこそは、新鮮なローカルのカキを所望するファンにとって何よりの貴重品なのだ。

古代の養魚池を活用

カキは、ハワイの養魚池の保護にあたる人たちにとっても重要な存在だ。そう語るのはアイナモモナ、パエパエ・オ・ヘエイアの責任者、ケリイ・コツベテイさんだ。彼はカネオへ湾にあるヘエイア養魚池で自給自足を甦らせようとしている。養魚池を使って家族と地域社会を支える持続可能な収入を生み出すことを目指しているのだ。

「養魚池では数万個のカキの養殖を試みてきました。失敗も沢山しましたが、それでも何千個か収穫できました」とコツベテイさんは言う。

ハワイのカキ市場のためにホーズさんが行っている各種のプロジェクトはどれも有望だ。将来は年間2000万ドルの純益も夢ではないと彼女はみている。クアロアでの初の収穫に示された需要は、間違いなく大きな消費市場があることを示唆している。ハワイ育ちのカキを2つ、3つと口に運びながら、私はこれまでの人生で殻から直接食べた多くのカキを思い起こした。だが、どれ1つとして、クアロアのあっさりしたギガに太刀打ちできるものはなかった。今後養魚池がどんなに大量のカキを生産しようと、簡単に手に入る状態にはならないだろう。帰宅途中、車からクアロアの店に電話をし、カキの注文をした。