古くは、アハアイナ (ご馳走を囲んだ集い) は、戦いでの勝利、新しいカヌーの進水といった特別な出来事や祝い事を記念するものでした。大きなラウハラのマットの中央に配されたティーの葉に食べ物が盛り付けられ、マット自体は地面にじかに置かれました。食器類はありません。ハワイ人はあらゆる物を手を使って食べていたからです。ポイの粘りは食べるときに何本の指を使うかによって区別され、ワンフィンガー ポイが一番粘りがあります。
カプ システムという法律と規則により、男性と女性が食事を共にすることは禁止されていました。それは、何日も続くことがある祝宴の席でも例外ではありません。しかも、女性が口にすることが許されていない食べ物までありました。たとえば、豚肉、ココナッツ、そして、さまざまな種類のバナナです。この 3 つはそれぞれ象徴的にロノ、クー、カナロアという男神に結び付けられており、男性のための特別な力を授けると信じられていたのです。
1819 年、このカプ システムはカメハメハ 2 世によって撤廃されました。当時まだ 22 歳だったカメハメハ王が、母であるケオプオラニ女王、そしてカアフマヌ女王 (クヒナ ヌイ (摂政)) と食事を共にしたときのことです。数世紀続いたカプが公式に廃止され、‘ai noa (タブーに縛られることなく自由に食べること) への扉がすべての人に開かれました。その後、キリスト教が島全体に広がっていきます。
1847 年、カメハメハ 3 世は、ヌアヌにある夏の避暑地カニアカププで、有名なアハアイナを開きました。この饗宴には 10,000 人のゲストが招待され、豚 271 頭、牛 3 頭、鶏 602 羽、魚 4,945 匹、ラウラウ 12 バレル、バナナ 80 房、パイナップル 55 個、ココナッツ 2,245 個、大きなひょうたんで作った器 482 杯のポイ、他にも数々のご馳走が振る舞われたと言われています。
このような宴会を表すために初めて「ルアウ」とう言葉を使ったのはパシフィック コマーシャル アドバタイザーで、1856 年のことでした。同紙がなぜアハアイナではなく、この言葉を使うことに決めたのかは知られていませんが、何らかの関係はあります。ルアウは若いタロの葉をココナッツ ミルクで煮込んだもので、イカや鶏肉が加えられることが多く、昔の祝いの催しでよく振る舞われていました。他にも、ポイ、魚、カルア ピッグ、ラウラウ、オピヒ、リム、パンノキ、サツマイモ、生のフルーツ、ハウピアなどが入った伝統的なルアウがあります。
ロミ サーモンとチキン ロング ライスはルアウのメニューとしては比較的新しく、1800 年代に、前者は交易船の船乗り、後者はハワイのサトウキビ園の労働者としてやってきた中国の移民によって伝えられました。
今のカマアイナは、結婚式、卒業、子供の 1 歳の誕生日など、おめでたいときにルアウで祝います。お祝いのムードを盛り上げるうえで欠かせないのがフラやライブ ミュージックで、参加者の絆やおいしい食事と同じくらい重要です。ハワイ中のたくさんのリゾートがルアウを提供していますが、もちろん、照り焼きビーフ、焼きチキン、ポテト サラダ、ケーキといった馴染みの味もあります。
次に示すハワイの島々で人気のルアウを是非お試しください。
オアフ
- チーフズ・ルアウ
- SeaLifeParkHawaii.com
- ジャーマンズ・ルアウ
- GermainesLuau.com
- パラダイス・コーブ
- ParadiseCove.com
- ポリネシア・カルチャー・センター
- Polynesia.com
マウイ
- フィースト・アット・レレ
- FeastAtLele.com
- オールド・ラハイナ・ルアウ
- OldLahainaLuau.com
カウアイ
- ルアウ・カラマク
- LuauKalamaku.com
- スミス・ファミリー・ガーデン・ルアウ
- SmithsKauai.com
ハワイ島
- ハレオ・ルアウ
- SheratonKona.com
- アイランド・ブリーズ・ルアウ
- KonaBeachHotel.com
- マウナ・ケア・ルアウ
- PrinceResortsHawaii.com